お化け屋敷 闇のとおりゃんせ 実行委員会

お化け屋敷 闇のとおりゃんせ 実行委員会 1957年、長野県生まれ。1992年、後楽園ゆうえんち(現 東京ドームシティ ア

「とおりゃんせ」という唄では、子供が無事に育った七つのお祝いに御札を返しに行くことが歌われています。 けれど、体の弱いまま、七歳になった子供もいます。そういう子のために、「丑三刻の御札返し」という言い伝えがありました。神様も休んでいる真夜中に御札をそっと返してくれば、まだしばらくはその子のことを守ってくれる、というものです。

“奈々美”という女性が、ある裕福な家に嫁ぎました。細かい姑や厳しいしきたりなどで、結婚生活は窮屈なものでしたが、辛抱強い奈々美にはそれほど大きな苦労ではありませんでした。

夫との間に子供ができ、臨月を迎える頃、以前付き合っていた“真咲”という男のことが、風の便りに伝わってきました。もともと体の弱かった真咲が、余命幾ばくもないというのです。

今の夫との結婚を決めた時、一方的に別れを告げていた奈々美は、そのことがずっと気がかりでした。

もう一度、真咲に会って謝ろう



奈々美は決意しますが、そのことを夫や姑には言えません。 そこで、病院に行くと嘘をついて、ある昼下がりに真咲の家を訪れました。 久しぶりに訪ねた家は、まるで時間が止まったかのようです。部屋の隅に敷かれた布団の上で、真咲は弱い呼吸を繰り返していました。 手を握って謝る奈々美に、真咲は「いいんだよ」と微かな笑顔を浮かべ、そっと一通の封筒を手渡してきました。 けれど、奈々美はその封筒を開けられませんでした。というのも、彼女はその場で産気づいてしまったからです。 近くの病院に運び込まれた奈々美は、そこで男の子を出産します。同じ時間に、真咲は息を引き取ってしまいました。

前の恋人に会いに行って、その部屋で産気づいた、ということは、すぐに夫と姑に知れてしまいました。 さらに、奈々美の持ち物の中から、あの封筒が見つかってしまいます。そこには、一つの和歌が記されていました。 「瀬をはやみ 岩にせかるる瀧川の われてもすゑに あはむとそ思ふ」 それは、あの世で一緒になろうという、真咲の気持ちを表していました。 この和歌を見た夫は激しく憤り、奈々美に手を上げました。その平手打ちの激しさのため、彼女の左目は見えづらくなってしまいました。 さらに悪いことに、生まれた子供は、とても病弱でした。 まるで、奈々美が前に付き合っていた男のようだ。 夫と姑は、そう言って奈々美を責めるようになりました。

七歳になっても、子供の体は弱いままでした。 そこで、夫と姑は、「丑三刻の御札返し」に行ってくるように、奈々美に告げました。子供の体が心配な奈々美は、もちろんそれを引き受けました。 ただし、この「丑三刻のお札返し」には、もう一つの決まりがありました。それは、誰かにその姿を見られたら大きな災厄に見舞われる、というものです。

闇夜を見計らって、奈々美はお札を返しに向かいました。 見つかってはいけない。見つかったら大変なことになる。 そう思いながら用心深く進んでいく奈々美でしたが、遠くからやってくる僧侶には気づきませんでした。というのも、僧侶は見えづらい彼女の左目の方から近づいてきていたからです。 奈々美が気づいた時にはもう、僧侶はもう彼女の姿を認めていました。 奈々美の「丑三刻の御札返し」は、破られたのです。 彼女は闇の中を駆け出して御札を返すと、そのまま境内から姿を消しました。 そして、我が子に厄災が及ばぬようにと、自分で命を絶ったのでした。

それ以来、その境内には、時々奈々美が現れると言われています。 奈々美は、自分を見た人を憎んでいます。 どうか、夜の境内を歩く時は、くれぐれも、彼女に見つからないように気をつけてください。

住所

Toyosawa 2777
Fukuroi-shi, Shizuoka
4370032

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