まとめないのは何故なのか
小説やエッセイには『まとめてはいけない』という鉄則のようなものがあります。
作家さんたちは『風呂敷を広げて終わる』と言います。田口ランディさんが文学学校で講演されたとき「決してまとめないでください。読者には関係ない、あなたの考えなんて」とハッキリと斬ってくださいました。
答えを読者に委ねること。そのために作品が存在するということ。
同時に私は、まとめないことで書き手に答えが生まれるのだとも思っています。
私たちは、学校で作文を習いました。作文は本来、論理的思考を作るもので、論文を書けるように構成されているものです。論文のため、しっかりと、まとめを書く必要がありました。
体験も作文で書いていました。まとめが必要で、私たちにはまとめることが染みついています。
でも、そのまとめが、本当の気持ちに蓋をしていることがあります。まとめることで、感じないようになっていたりします。
これまで文章講座をしてきて、まとめの箇所を削除提案し、再度、読んでみられた時、初めて涙が出た人を何人も見てきました。
私にとって、まとめは『心の蓋』です。
どのようにまとめないかを話しているところを、動画に撮りました。
文章講座ベイシック2回目にて。
体験が自身の糧になり、読者の心にも響くエッセイ(ストーリー)の書き方。
いつまでも心に残っている体験は、エッセイという作品にすることで、気づきが生まれ、人生の糧になったりします。同時に、自分の体験が読者の心を救ったりもします。それは作文の書き方では難しく、エッセイという作品で可能になってきます。
では、作文とエッセイはどう違うのか。
作文は、書き手の視点で過去を回想するように書いたもの。
エッセイは、書き手の視点から、過去当時の時間軸に生きる私の視点へ移行して書いたもの。
当時の私がまさに今の状態で見ている状態を、私は小説の専門用語『私視点』という言葉を使って説明しています。
書き手の回想(作文)では、読者は聞き手にまわり他人事になりますが、
当時の私視点だと、読者が主人公になり、その体験を味わうことができるようになります。
そして、行間(言葉にしていないものが浮きあがったもの)が、書き手にも読者にも気付きや癒しを起こすようになります。
この状態は心理学での『精神の統合』に通じるものがあると私は考えています。
昔から、一冊の小説がなぜ救われるのかについて、よく考えていました。
エッセイは小説に近いです。嘘の入っていない小説、と言うことができるほど、書き方が似ています。
以前、文学学校で作家の先生方に、『エッセイと小説の違いを教えてください』と聞いてまわったことがありました。同じです、という答えばかりをもらいました。たぶん、同じなんだと思います。小説の中に、エッセイが含まれるように思います。
違いを言うならば、
エッセイは、作文の
もののけ姫
年に一度の友情出演を無事おえました。
映画、もののけ姫はずっと心に残ります。私もそんなストーリーを書いてみたいです。
読者の心に響く体験談
自叙伝を書きたい人が増えているそうです。私もいずれ応援していきたい分野です。
ただ、非常に難しい。なぜなら『読者は他者の体験に興味がない』という前提があるからです。たとえ波瀾万丈な人生だったとしても。
小説家たちがエッセイ(体験談)を書くと、小さなことでも読者を引き込み、読ませることが多いです。それは、読者に読んでもらうのではなく、読者を主人公にしているからと言えます。
小説は読者を主人公にする芸術。その芸術を活かした自叙伝ならば、飽きずに読めるし、気付きも起きる。読者の未来を開くかもしれない。
自分の体験が誰かの役に立てばと願う人は素敵だと思うし、それを書こうとする意志も素晴らしいと思います。
小説の専門的な技術でそれは可能であることを、私は伝えていきたいと思っています。
録画は、『エッセイの読者が、読み手から主人公に移行していく技術』を6分ほど話しています。
小説で、主人公が過去を回想するときにも使う技術です。
良かったらご覧ください。
ベイシック3回目(最終日)にて
作家の技術
〜小説や体験談(エッセイ)を書く上での重要なポイント〜
世間一般には知られていないですが、作家たちにとっては中心軸の一つとなる書き方を話しました。
録画時間7分。
文章講座ベイシックにて。
心に響く文章講座ベイシック3回目は、人々の心に響く作品を書くための、『3つの河』の流し方について話しています。
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心に響く文章講座【第58期】の募集をしています。よろしくお願いします。
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