私がマジシャンになった、きっかけ
私が、手品に興味を持ったのは、6歳の時。
百貨店での実演販売をみて、両親に「8つの手品」を買ってもらったのが始まりです。
年齢とともに、手品の面白さの虜になり、少しづつ手品道具や本が増えていきました。
高校1年生になるころには、
本格的に手品を始め、人前でも披露するようになっていました。
そんな時。
あの出来事が起こりました。
「阪神淡路大震災」です。
高校2年生の冬でした。
自分の生まれ育った街「神戸市東灘区」は壊滅的な被害を受けました。
地面は割れ、壁は崩れ、ビルは倒れ、
私の知っている街の姿はそこにありませんでした。
それだけではありません。
・将来の夢を語りあっていた友人
・初めて恋人が出来て、幸せいっぱいだったバイト先の女子社員
・いつも優しく声をかけてくれた、パートのおばちゃん
昨日まで一緒に笑っていた人たちが、一瞬で居なくなってしまいました。
生きるということが決して当たり前でない
そのことを、知ったあの日から、
「どうして生き残ってしまったんだろう」と
悩む日々が続きました。
そのうち生きているからには「人の役に立つ事がしたい!」と強く思うようになりました。
大学に入り、さまざまななボランティア活動にも参加しました。
だけど、何かが違いました。震災を経験している人と、経験していない人の温度差。 誰でもいいから・・・思い描いていた、結果とは違うモノでした。
この時、
「私にしかできない、役に立つ事ってあるんじゃないか・・・」
そう考え始めました。
大学1回生の12月、人生の転機が訪れました
様々な偶然重なり、
阪急百貨店梅田本店で実演販売されていたマジシャン
「清水一正」氏に実演販売のアルバイトに
誘っていただいたのです。
私は無我夢中で、手品を練習して覚えて、勉強しました。
その姿勢を清水さんに評価していただき、
アルバイトを始めてから、2年後
吉本興業所属「ジョニー広瀬」師を
紹介していただきました。
1999年4月
弟子修行のスタート、プロマジシャンとしての
第一歩を踏み出すことに、なりました。
当時の私は知るよしもありませんでしたが、
「清水一正」氏は国内有数のディーラーでした。
全国からお客さんが「清水」氏に教えをいただきに来るほどでした。
「ジョニー広瀬」師も関西を代表するマジシャンでありました。
国内トップレベルのお二人から
私は本当にたくさんの大事なことを教えて頂きました。
弟子いう立場だからこそ、お金を払って教わることの出来ない、
手品の神髄ともいうべきものを、学ぶことができました。
手品は「タネ(=仕掛けや指先の技術)」がすべてではないということ
目線・間の取り方・音楽・様々な表現のピースが絡み合って、
初めて「不思議な手品」は完成します
そしてそれらが完璧にはまった時に起こる爆発的な感動と面白さの世界。
師匠たちが見せてくれたその完璧な世界。
私はすっかりその魅力に取り憑かれてしまいました。
残念なことですが、
手品の世界においても徒弟制度がなくなり大事なことが伝わらないまま
売っている道具を並べるだけの手品がはびこっています。
それらはYoutubeなどを見たら、
すぐ答え合わせの出来てしまうようなものばかりです。
「なーんだ手品ってつまらないんだ」
と思われているのが私はとても悔しいです
本当の手品は決してそんなものではありません
簡単なものであっても、
手品には小さいお子様からおじいちゃんおばあちゃんまで
日本だけではなくどこの国の人でも笑顔にすることができる力があります。
師匠たちが見せてくれたすばらしい世界を
もっと、もっと、みなさんにもお届けしたい。
これが、私に出来る、マジック界への恩返しだと。
本当の手品を是非皆さん見て楽しんでほしい。
そして、私と同じように
手品の魅せられた人のお手伝いを
全力でさせていただけたらと思います。